「木屑録(ボクセツロク)」
漱石は明治22年(1889年) 当時一高の学生だったが、学友四人とともに、24日間の長旅として、房総を訪れた。 その時紀行漢詩文集「木屑録(ボクセツロク)」を書き上げ

、四国松山で静養中の正岡子規に送った。このことを契機として二人はにわかに親密になっていく。漱石の漢詩は少年期に漢字塾二松学舎の塾長三島中州に学んでいて、実に素晴らしいものである。この房州旅行のことは、後年書いた文学作品「草枕」にも出てくる。 漱石はこの旅が大変心に残った旅であったらしい。行徳ー千葉ー木更津ー鋸山ー保田ー鴨川ー九十九里(片貝)-飯岡ー銚子そして利根川を船で野田ー流山ー松戸ー小名木川ー隅田川で都心へ帰った。前編漢文なので、多くの人に読まれることは少ないが、鋸山や日本寺の文章などは、蘇東坡の「後赤壁賦」を想わせる格調高いもので、漱石は英文学が本職であるが、中国文学特に漢詩の素養は日本一ではないか。『君見ずや 鋸山全身石稜稜 古松髪を為し 髪ほうそう 横断す 房総三十里 海濤麓を洗ひて声ぼっそう』 (見よ 鋸山は全体が険しく切り立った 岩であることを 古い松はあたかも髪がなびくように、 ぼうぼうと風に身をまかせる。 海を横断して三十里のはての房総にやってきた。) これは本文の鋸山の部分の漢文を口語にしてみたが、18歳の青年、漱石が深い情意をもって語っている精神性に頭が下がる。岩波書店の漱石全集には全文が載っている。

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